Project A&Yの日記

フィリピンで見つけたプロダクツの販売をする『Project A&Y』の男女二人がそれぞれの生活について語ります。読書、本、アート、旅行から海外生活まで。

7/21の日記

23:30ごろ帰宅して階段廊下洗面所の床が綺麗で感動したから今後とも綺麗にして行きたい。

23時すぎにパーキングエリアに寄ったが売店は閉店。今晩の夕食はココアだ。

22:30ごろ打ち合わせが終わった。最後のあがきでどうにかしたい。駐車場をなぜか12時間ではなく8時間の方に止めていてまさかの六千円越え。経費。

20時ごろ次々にスタッフが退社するから驚いた。なぜ?!と思った。

18時ごろ打ち合わせ後恵比寿ガーデンプレイスでハワイアンフェスティバル的なものをしていて黒いハワイ好きな日本人がたくさんいた。私もそれだと思われてたかも。ビールが飲みたかったが、レモネードだけ飲んでみる。

16:30にむりやりかのように打ち合わせを終了させる。

13時に最近野菜を食べなさすぎだと会社前のパン屋でラタトゥイユを買うも、冷たいもの食べるんじゃなかったと思った。

11時に渋滞を超えてやっと着いた。

9時に模型を取りに来てからトキオへ。

8時にお腹が痛かったので温かいものを求めてスタバへ。

 

とにかく毎日悲しみが急に襲ってくる。そんな時、あの絵を思い出す。ステヴァンス「思い出と後悔」。おれは思い出と後悔のかたまりである。

 

今日はだいぶ疲れている。

今日も良い1日だった。

7月20日の日記

アラームを自分で消したのか大寝坊をかました。今日もラジオでオザケンがかかったと思ったらKREVAバージョンの今夜はブギー・バックだった。

午前中は、メール返信に発送作業、またもや入稿作業など。お昼はうどんを茹でて食べた。午後は電話や来たる日の段取り整理。しかしとっちらかったやり方でまずい。心配だ。

今日は少し思考を深める作業がしたかったが、集中できなかった。目の周りの頭痛のせいだ。この、目の下のコリのような頭痛は厄介だ。薬を飲むほどの激痛でもないから。しかし思考作業をひと段落つけられたので、しばしの安心。でもまだまだ足りない。

送信メールの数を数えてみたら36件。メッセンジャーやラインでもやり取りするようになってるから少なくなったような気がする。

上司からの宿題にまだ手をつけていない。どうすべきか。

明日の打ち合わせのために、車に模型を詰め込まなきゃと思って倉庫に車を寄せていたら、思っていた場所から移動されていた。1人夜な夜な地下の倉庫に行くのは怖すぎるので、諦めた。21時すぎに退社。

お腹が減ったのでマックのドライブスルーをしてしまった。ダブルチーズバーガー。食べていたら、ラジオのゲストに殺虫剤のプロ。ゴキブリの話をしている。惨めな気持ちになった。

帰宅したら掃除が止まらなくなった。休みの日は断捨離ばかりしてもなかなか全て片付かない。今日は洗面所の下のところを片付けた。長い間使っていない化粧品、ポーチをバシバシ捨てた。もらいものの使っていない香水が出てきて、中身を水道に流して瓶ゴミにしようかと思ったら、開かなかった。割るしかないのか?しかし妙にいい匂いが自分について少しだけ気分がよい。

使用期限2015年の未開封コンドームも出てきた。購入した場所、風景をよく覚えている。きっとあれは2010年のことだから使用期間は5年なんですね。知りませんでした。

 

今日もいい1日だった。

 

7/19の日記

失われたものを補完するために日記を書くことにする。できるだけ毎日。2枚以内におさめる。

 

寒くて3時ぐらいに目がさめる。またもやクーラーのおやすみタイマーがうまく機能しておらず、寒くて目が覚めクーラーを消し、6時ごろ暑くて目がさめる。早起きして充実の朝をと思いつつ、二度寝したためいつもの時間に起き、シャワーを浴びて化粧をして、ピアスをつけて出発した。

友達にタイ土産を送るためにコンビニに寄った。ここで禁断のコンビニのアイスカフェラテを買ってしまったが、同志には秘密だ。友達の子どものために買った洋服は最強にかわいい。早く着ている写真を見たい!

ラジオを聴いていたら雰囲気のいい曲が流れてきて、なんだか二流オザケンみたいな曲だなぁ〜と思っていたらオザケンだった。感動した。いい気分になった。

先日買った愛読誌、「MONKEY」最新号に掲載のオザケンの朗読イベントの文章は最高に面白かった。ぜひ千葉県観光協会的なところが作った英語ガイドをお見せしたい。

 

職場について午前中は会議。化粧のせいか「エッいつもと雰囲気違う、恋してるんじゃ?」とか言われたがこちとら真逆だうっせこのやろ、と思った。

午後からはひたすら案内状製作業務。先輩に相談しながら製作を進め、夜な夜な入稿。

その合間で各方面への催促と新しいアイディアを落ち着ける気持ちとの戦い。どうしてこんなにも繁雑なのだろうか。

やることの多さと、迎え入る日への不安が止まらない。こういうとき、これまでも同じ不安を抱えていた、ということとガッカリ感はよくあるということだ、やることに意味がある思いながら、やるしかない、の気持ちでやっている。

昨日上司と話し、以前伝えられた「いつも120パーセントの気持ちで」との名を言い聞かせながらとりあえず22時までできることをした。

 

夜ご飯は食べ損なったので白ワインで済ます。さぁ入浴して読書して寝よう。

 

今日も良い一日だった。

 

-A

Baseでの出品の中止のお知らせ

かなりマイペースでしたが、baseでのグッズの販売をひとまず中止しようと思います。

projectay.theshop.jp

 

マニラ生活も5年になり、少し生活のリズムが変わりそうなので

そんな日常をこちらで記せたらと思います。

 

-Y

WWBD#2 映画「スプリング・ブレイカーズ」におけるブリトニー・スピアーズ

Spring Breakers - Everytime Scene [HD] - YouTube

ちょっと前にNetflixで前からみたかった映画「スプリング・ブレイカーズ」を見ました。春休みを謳歌しようとするために強盗をはたらいてマイアミで退廃的に遊ぶ女子大生4人組の話。退屈な日常から逃げ出すために悪いことをしてしまって警察に捕まった女の子4人組の前に現れた怪しいラッパー(ジェームス・フランコ!)が助けて共同生活を送るのですが...。「この先どうしてくんだろ」的退廃さのなかで、このシーンが流れます。Youtubeに上がっていたのをそのままアップしてしまいます。ピアノを弾くジェームス・フランコがうたうのは、ブリトニー・スピアーズのEverytime。

 

映画の中では、この曲以外にも、舞い上がった4人組が楽しそうに「Baby one more time」を歌うシーンもある。きっと彼女たちは小学生ぐらいの時にブリトニーが流行っていて、すごいかわいいと思って大好きで、Baby one more timeなんて特にその象徴的な曲で(きっとMVも含め)、それでハイティーンになって、ブリトニーがリアルに感じられるようになってしまっているのですね。

 

映画はほんと終始退廃的に思えたし、真面目に見たらなんか落ち込みそうな気持ちになる内容だったけれど、こう、ブリトニーのEverytimeがかかるだけで、ワルい女の子たちが、心の底から悪いわけじゃなくてどうしてもこうなっちゃったんだ感がしてきて、切ない気持ちになります。これこそがブリトニー・スピアーズ的で、ブリトニーってそんなアイドルなんだろう、と思えました。実に、ヤンキーっぽく、日本における浜崎あゆみにそっくりです。

映画の内容そのものよりも、ブリトニーネスが印象に残る映画でした。しかし、日常に退屈していて、大人になりきれない女の子たちを描いた映画には、ブリトニーの音楽の登場はものすごく効いていました。こういうときは、きっとビヨンセの曲じゃない。ビヨンセが効果的に使われる映画ってあるかな、見てみたいものです。

 

-A

# READABOOKINSTEADOFSLIDETOUNLOCK ルーキーイヤーブックvol.1 日本語版

アメリカで、タヴィ・ゲビンソンちゃんという女の子が11歳の時に始めたウェブマガジン「Rookie」。10代の女の子たちがライターとして多数参加して、彼女たちの思いのたけをそれぞれに綴った記事や、憧れの大人へのインタビュー記事などを掲載した、素晴らしきガールズメディアです。このROOKIEでは、1年に1度、「ROOKIE YEAR BOOK」として、1年間の記事を再編集し、ビジュアルブックとして出版しています。その1冊目が、日本語版となって、今月出版されました。

本の出版情報は、こちら:

http://www.amazon.co.jp/dp/4907583680

 

ワタクシ、この本の下訳を行うインターンに参加させていただきました:)
それはそれはクリエイティブかつ本当に心揺さぶられる体験でした。
なにしろ、翻訳出版というハードルはそんな低いものではないだろうに、そこを実現した出版社と翻訳の多屋澄礼さん、それから山崎まどかさんに敬意を表したいです。

10代の女の子のためのメディアを、なぜ20代も後半というか、最後の1年な私が楽しんでしまっているのか。それはもはや、いまの10代の女の子たち、それから未来の10代の女の子たちへこれを伝えたいという思いに近いです。改めてルーキーのことを考えてみると、まるで自分の成長を感じるかのようでもあります。

というのも、今こうして、快くルーキーの存在を受け止めているのはこの年齢だからで、もう少し若かったら、多分私は悔しい思いをしていたように思います。「クッソ!こんないいことやっている女の子がもうすでにいたか!」と。その悔しさというのは、おそらく10代というか、そのぐらいの年代の頃に悩む「自分のあり方問題」のようなものからやってくるもので、そこらへんで生じる悩みをなにか、形にかえた集合体がきっとルーキーというメディアなんだと思います。

いろいろな女の子が参加していることで、「私も何か出来るかも!」と「私」が発信する主体になっていくとしたら、それは素晴らしいことです。ただ、「何か人とは違うことをできないといけない」という悪夢にはとりつかれてほしくないと思います。単純に、ルーキーを読んで、自分は何を考えているんだろうということ、自分が好きなこと、いやだと思うことに素直になるという態度が伝染していくといいなと思っています。単純なことだけど、本当に難しいことだから、ルーキーを通じて、同じような思いを抱える女子にであって、救われる女子たちがきっとたくさんいるはずだと願っています。

 

本当は、この「ルーキーイヤーブック」のなかのお気に入り記事などを紹介するのもいいかもしれませんが、ルーキーそのものは、おいておいて、「翻訳」ということを通して考えたこともあるので、書き記しておきたいと思います。

普段の仕事で行う翻訳は、日常的な事柄ではなくましてや若い女の子の文章ではないので、まず、「日本語は、感嘆の言葉があまりにも少ない」ということに気付いたのは、新しい発見でした。言葉と文化の関係性を知るようにも思いますが、英語にはあるけれど日本語には褒める文化がない、と言い切ってしまうのも怪しく思います。

外国(主に欧米なのが常)にはこういう考え方があるけれど、日本にはないから「ダメ」という言い方が私はあまり好きではありません。いいことと思うならば、どんどん日本で伝えていけばいいと思うし、あるいは作ったらいいと思います。翻訳もそのひとつの実践で、外国にある、日本にないこと(いいことであれ、わるいことであれ)が伝わって、いろいろな考え方、生活のあり方が多様性のひとつとなっていく世界がいいなと思っています。

いま、パートナーであるYが外国にいるという契機を活かしてやっている、私たちなりの実践がこのProject A&Yでもあったりするなよなぁと、あらあらおすすめの本からこのブログとその周辺のところまで考えがおよんでしまいました。それぐらい、ルーキーってすばらしいメディアなんです。最後に一言重要なことをいうと、ルーキーは、ヴィジュアル的にもカワイイよねッ!


-A

 

 

Dex FernandezのNew Yorkでの個展「310E44R822」について

Project A&Y のショップでもお馴染みのGarapata(ガラパタ)の

デックス・フェルナンデスの個展がNYで開かれました!!

 

作品一覧はOwenJamesギャラリーのホームページにて確認できます。

私もこの作品のなかのモデルになっているのですが。

 

そしてその時に取材された記事がハフィントンポストに掲載されました。

 

記事を日本語訳してみましたので、お楽しみください。

 

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アジアン・カルチュラル・カウンシル(Asian Cultural Council)のサポートを受けて20155月にマサチューセッツのファイン・アーツ・ワークセンター(Fine Arts Work Center)、そして現在ニューヨークに滞在中のマニラ出身のフィリピン人アーティストDex Fernandezへのインタビュー。インタビュアーSara Zielinski


Sara) あなたの作品には、喜怒哀楽の感情など個人的な経験やアート、文化など色んなものが混在していますが、それらが完全に同居しているようにも見えます。なぜ作品の中にそう言った二重性を持たせたり様々なものを混在させるのですか?

Dex) 混在しているものは「善と悪」のように対比となるような存在で、僕はそういった相反している存在をごちゃ混ぜにする事が好きなんだ。そうする事で新しい物語が生まれるでしょう?これは僕の哲学みたいなものなんだけど、ありとあらゆるものを一枚のキャンバスに落とし込む。そうやってミックスする事で何か新しい物をつくりだしています。

 

Sara) コラージュや壁画、版画にアニメーション、ペインティングから写真までと幅広い表現方法を用いて作品制作をしていますが、次はどんな手法に興味がありますか?

Dex) 今は僕の表現をファッションに取り込みたいと思っていて、今でもたまにグッズ商品を作っているけど、そういう複製して作れるようなものではなく「歩くキャンバス」のような作品を作りたいんだ。

Sara) つまり、他の作品のように、世界に一つだけの作品ということですか?

Dex) そういう事になるね。将来的にはmoving artを作りたいとおもっていて、それは映像を映し出したりすることで実現可能だと思うんだ。最近ではプロジェクションマッピングはそこら中で見られるけど、僕は映像を歩いているモデルに映し出したりしたいなと思ってる。


Sara) アーティストとしてのキャリアの始まりについて教えてください。また、ストリートアートとはあなたにとってどんなものですか?

Dex) 僕は初めからストリートアーティストだったわけではなく、ギャラリーで展示するようなアーティストでした。それからストリートに行って、今こうしてまたギャラリーに戻ってきている。でも今は、その「ストリート」と「ギャラリー」という二者を繋げて、協働できるようにしたいと思ってる。

ストリートアートは、ギャラリーや美術館に行くのをためらうような人たちにも開かれていて、生活空間にあるアートを気軽に体験できる。僕にとってのストリートアートを簡単に説明するとそんな感じかな。

僕がストリートで展開しているGarapata(ガラパタというダニの一種)のスタイルは、僕の幼少の頃の個人的な体験から来ているのです。僕が小さい時、兄弟と一緒に、飼ってた三匹の犬についているダニを集めるっていう遊びを毎日していたんだけど、ある時、カーテンとか、テーブルとか、とにかく家中の至る所に大量のダニが発見されるようになって、もうそれは本当映画『マーズ・アタック』って感じのことが起きて...。

結局それがきっかけでその時飼ってた犬たちを手放しちゃったんだけど、その後こうしてアーティストになって、ストリートアートにも興味を持ち始めたときに、この『マーズ・アタック』ばりの「ダニの大量発生」の話は使えるなって思ってました。

ダニが家の中で拡がっていったイメージが元ネタで、今は僕のストリートアート(ガラパタ)が町中に拡がっていくイメージなんだ。

 

Sara) そしていまガラパタは世界中で見られるようになりましたよね。

Dex) そうだね。そう考えると、犬に限らず人間だってダニを持ってるんだよ。というのも、僕はガラパタ(ダニ)のステッカーを皆んなにあげて、皆んながそれをどっかに貼ったりすると、ガラパタはそこで生きて行くでしょう?

それに僕はFacebookInstagramなどのSNSを使ってガラパタ関連の投稿をしてるんだけど、奴らはそういうソーシャルメディアに寄生してるとも言える。それに関して、不快に思ったり、面白いって思ったり、そういった様々な感情が生まれるし色んな人がいるんだよ。

今では僕のダニ(ガラパタ)がバスや電車内など、町中で見られるようになったんだけど、それがニューヨークやマニラ、日本、それから僕が行ったことのあるところ(台北、パリなど)全世界規模になってるんだよ。というのも、僕は必ずガラパタステッカーを持ち歩いて僕のダニたちを広められるようにしてるからね。

 

Sara) 広告に携わっていた経験は今の作品制作にどのように活きていますか。

Dex) 特にグラフィックやイラスト、写真に活きていて、特に写真は広告にとって基本的な素材のひとつだと言えるね。

 

Sara) 田舎町と比べてニューヨークはどうですか?

Dex) ニューヨークではもっと自分らしく生きられてると思う。田舎って限られているし、保守的な人も多いですよね?でもニューヨークはもっとみんながオープンだと感じる。でも田舎町もいつも保守的ってわけではなくて、大都会と違う形で開かれてもいる。

都市はよりダイナミックだと思うし、僕が個人的に探してる生活はそこにあると思うんだ。というのも、僕の作品というのはごちゃごちゃしていて複雑でしょ?都市そのものみたいなものなんだよね。エネルギーに満ちていて、色んなことが起こっている。その僕の作品とのシンンプルな類似点が僕を都市に引きつけるんだよね。

 

Sara) ニューヨークとマニラの生活を比べてどう思いますか?

Dex) ニューヨークの生活の方が好きだね。マニラもオープンな都市だとは思うけど、フィリピンがカトリック教国なだけに、どうしても保守的な部分が残ってしまう。そういう宗教に関した繊細な問題に関しては偏見が多いのも事実だし、ニューヨークはそこに関してもオープンで、この都市は入り込めば入り込むほど邪悪なところもある。

 

Sara) 最後に、Owen James Galleryでの展覧会「310E44R822」のタイトルについて教えてもらえますか?

Dex) これはそのまんま僕のニューヨークでの住所"New York: 310 East 44 Street, Room 822"から来ているんだ。展覧会の内容が、僕のニューヨークでの経験、ここで学んだ事なんだけど、だから、この住所こそ毎日僕が帰ってくるところで、この展覧会に向けて作品を作ったところであり、こうやって話している事を考えたところで、そういう意味を込めてこの住所を展覧会のタイトルにしたんだ。

 

-Y